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今回は全体的に重い話。
1、
朝、学校へ出かけるときになって、TVで見かけてやっと気が付いたのは、
今日が広島の原爆投下の日だってこと。
「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」
これは広島市の市長が宣言した言葉だけれども、果たしてこれが実現するのはいつになるのだろうか。
授業で「政治経済」に触れていく中で、核抑止っていう理論を学んだ。
核抑止(かくよくし)とは核戦略において巨大な破壊力を持つ核兵器を保有することが、対立する二国間関係において互いに核の使用がためらわれる状況を作り出し、結果として重大な核戦争が回避される、という考え方である。(ウィキペディアより)
確かに今現在の核技術をもってすればもっとも有効で典型的な考え方だとは思うけど、それが果たして核軍縮、核廃絶の根本的な解決になるのか、と僕は疑問だ。
ミサイルの威力、射程距離などはこの63年前の技術の比ではない。
今現在の核ミサイルなら、日本全土をたった3発の弾頭で焼け野原に出来るという。
そんな技術をもってして、この核抑止理論の不確かな信憑性に頼るだけでは、あまりに心もとない。
核軍縮が今後どのような形で進んでいくかはわからないけれど、いつの日か完全撤廃されることを願いたい。
…と、核について話しました。はい。稚拙な理論でごめんなs(ry
注意:この先、さらに重い話あり。
2、
学校から帰ってきて、
冷房のある勉強場所を求めて、
おばあちゃんの家に行きました。
昼飯から冷房ガンガンの個室、夕飯、果ては入浴までさせて頂いた。
お陰で勉強の方は家にいるよりもかなり効率的にやることができた。
家では自分の部屋無し、冷房もロクに効かない、机は弟と共用っていう環境なので。
――最近、父方の祖父母にしても、母方の祖父母にしても、やたらとお世話が手厚い。
僕が物心付いた頃から、時が経つにつれてだんだんとそんな風に見えてきた。
もちろん、僕が生まれたての頃から可愛がってくれてはいたようだが、僕が大学受験を控えている今、またそんな傾向が強くなったように見える。
――祖父母達が自身の「死」を自覚し始めたのかもしれない――。
ふと僕はそんなことを考えてしまうのだ。
最近の祖父母達は、骨粗しょう症やヘルペス、腰痛、血栓の治療とかで医療機関にかかることが多くて、物心付いた頃よりも随分衰弱しているように見えるからだと思う。
「死」を覚悟し受け入れるってのは、自他や生前死後に関わらず、相当な意志が必要だし、時間も必要だと思う。
――もしそんな事態がほんの一瞬で襲ってきたとしたら。
ここ最近、「死」について想起させるような出来事が多い。その中から一つ。
それは死後に知った出来事だったのだが、その訃報はあまりに突然の知らせで、現実味が無さ過ぎて、ただただ目の前に想い描く世界と実際に起こっている真実との矛盾を感じて呆然としていた。
冷静になって受け入れようとしても、なんと言葉をかけてよいかも分からず、ただ「ご冥福をお祈りする」という文句しか浮かばなかった。
そして、教えてくれた当の本人はもっと深刻で複雑な感情を携え、いろんな解釈を考えながら現実を反芻しているのだろう。。。
自分がこんな立場に立たされたとき、自分は自分でいられるのかどうかが、このとき初めて、本当に心配になった。
そんなに遠くない将来、祖父母だけではなく、親もきっと「死」を迎えることになるだろう。
ひょっとしたらそれは突然襲ってくるかもしれないし、前もって余命を宣告されるような事態になるかも分からない。
たぶん今のままこんな事態が襲ってきたとしたら――。
そのために、今からでも人付き合いは「かけがえのないもの」として大切にしたい。
「死」がどんな形で襲ってこようとも、それに耐えられるだけの心の強さをください――。
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流れは遅いかもしれませんが、たまーに見て頂ければと思います。
これからもよろしくお願いしますm(_ _)m